道が、少し上り坂になってきた。
ぜいぜい、と息を吐きながら、5歳児も乗せた重たい自転車を、私は半ば立ちこぎして、必死で洋輔に追いつこうとする。
まさか、この歳になって立ちこぎするなんて、と我ながら呆れるが、先ほどのヒステリックな叫び声を上げることも、子どもを後ろに乗せて必死で自転車を運転することも、全く恥ずかしさはない。
きっぱりとした声を出すことは、違う観点から言って、私にはもう恥ずかしがってはいられない、しょうがない事柄でもある。
洋輔のような自閉のある子には、あいまいに物事を言っても通じないとことがある。
そのために、具体的に、短く、はっきりした声で。「自転車危ないよ~」ではなく、「スピードを出すと車にぶつかって自分も相手も危ない。ブレーキを使って速度をゆるめなさい」と言う方が伝わる、ということがあるために、私の話し方も、つい、理屈っぽく、冷たくなってきたな、と最近自分でも感じる。
知らない人が聞いたら、奇異に聞こえるし、この母親はいったい?と思われるだろう。
洋輔の‘見た感じ’が、極めて普通の、一般の発達がある子どものように見える、という原因もある。
けれど、今さら、人にどう見られようが、そんなことどうでもよくなっている。
そう、私には、全てが、「もう今さらどうでもいい」と思う癖がついてしまっている。
それは諦め、というネガティブなことではなく、一つ一つ気にしていたら、悩んでいたらきりがない、前に進まない。
もうなんだっていいんだ、生きていかなきゃいけないんだ、という、私からしてみれば、ポジティブに分類される感情なのだが。
生きていくために、大病をした夫を支えるため、フルタイムで仕事をしている。今日のような仕事が休みの日は、一日中、洋輔と一緒にいるので、彼の特性が、こだわりが、一方的さが、執着が、私の勘に触って、ずっとイライラしてしまう。
洋輔もさすがに、上り坂はきついようで、やっと私は彼の自転車の速さに追いついた。
「お母さん、何度も言ってるよね。ここは交通量が多いから、少し周りを見なさいって」
息も絶え絶えになりながら、静かに抑えた声で、彼に告げる。
また、ちらり、と私の方を横目で見た彼は、はい、と少し不満げに返事をした。
その曇った表情を見て、私はまた、罪悪感にさいなまれる。
いつも、生まれつきの本能からくる欲求を、絶えず我慢しなければらない自閉っ子。
興味のあることはまず手が出て触りたい。幼い子なら、障害があろうがなかろうが誰でもそうだ。けれど、触ってはいけないものがある、ということを学んで、また素直に脳がそれを受け入れて、人は成長していく。
けれど、洋輔は、脳がなかなか受け入れない。絶えず、無意識にやってしまう行動を、「それでは集団の社会で生活していけない」という母親や特別学級の担任から、自分で抑えるよう言われる。
難儀だ。お気の毒に。と、母親ながら思う。
サヴァン症候群の青年が主人公のドラマが最近テレビであったが、サヴァンは私からしたらエリート。あそこまで天才的だったら、その秀でたもので食べて生活していけるだろう。
けれど洋輔は、軽度の、見た目はそれと分からない、知的には遅れのない、情緒の発達障害。
障害者手帳は発行されないので、一般社会で普通の発達の人と肩を並べて生きていかなければならない。
だからなおさら・・・・・・
思わずその思いに引き込まれて、目の前にいたはずの洋輔が、また先へ先へ行っていることに気がついた。
そして、今度は緩やかな下り坂。下り坂の先には、信号機。大きな交差点。ひっきりなしに、車が流れている。
「洋輔!」
ドスを効かせた声も、またしても届いていない。
後ろで、その私の声に驚いた妹が泣き喚き始めた。ご機嫌斜めが、さらに悪くなったらしい。
もうペダルを勢いよく踏み込む体力も気力もない。
暑い。熱風が顔にまとわりつき、コンタクトを乾かせるために、非常に目元が不愉快だ。
車の排気ガスも臭い。暑い。とにかく疲れた。
はるか向こうで、信号機が黄色に変わったのが見えた。
洋輔は一向に減速する気配はない。
もう、このまま突っ込んでしまえ。
そのほうが、あんたも楽でしょ。
いっそのこと、いいよ、もう。
完全に私の身体を、鬼が支配した。
PR